五里霧中に一筋の光を - ひかりば -

きまぐれコラム・社会の疑問や講演ネタの紹介など

正当にこわがる

情報モラル、情報リテラシーを養う上で大切なことが「正当にこわがる」ことです。

判断するために必要なことは、何が正しく、何が誤っているのかを知ることです。

知らない状態で悩み、対策を考えているうちは「正当にこわがる」ことはできません。無用な不安、心配をしてしまいます。

不安を感じたり悩んだときには、事実(Fact)を知ることです。

ビジネスの世界でも「事実に基づいた確認」はよく言われることですが、これが案外できていないものです。
一部の不確実な情報を事実であり、全てと思い込んでしまい、ミスリードしてしまうこともあるものです。
情報モラルや情報リテラシーの世界では当たり前のように行われています。

知らないから不安になるということもあります。
知ってしまえば対策も検討可能です。

気をつけなければいけないのは「知ったから安全であると勘違いすること」です。

知っていても、正しい使い方をしていても、事件や事故などのトラブルに巻き込まれることはあります。

常にわからないことは学ぶ(知る)という行動をすると同時に、「○○だけれども○○かもしれない(*1)」という「正当にこわがる」ことを意識することで、携帯やスマホという便利な道具を安全に使えるようになってもらいたいものです。

(*1) 例:危険なことは知っているけれども危険なことに遭遇するかもしれない。

教育相談とカウンセリング

教育相談

「教育相談」とは以下のように定義されています。

教育相談(きょういくそうだん)とは、児童生徒の学校生活における学習相談、生活相談、進路・就職相談などを包括しての呼び名である。
(出典:wikipedia「教育相談」)

教育現場における問題発生時(トラブル時)の相談については「教育相談」という言葉が使われます。

「相談」は、困っている時、悩んでいる時に具体的な解決を目的にしており、行動が伴うものです。行動しなければ解決しませんから。従って、相談を受けた人は相談者と共に主体的に様々な解決策を一緒に考え、一緒に行動することもあります。あれしよう、これしようという提案や指示をすることもあります。

カウンセリング

一方、カウンセリングは、以下のような定義隣っています。

カウンセリング(英: counseling)とは、依頼者の抱える問題・悩みなどに対し、専門的な知識や技術を用いて行われる相談援助のことである。カウンセリングを行う者をカウンセラー(counselor)、相談員などと呼び、カウンセリングを受ける者をクライエント(client)、カウンセリー(counselee)、相談者/来談者などと呼ぶ。
(出典:wikipedia「カウンセリング」)

カウンセラーが主体的に考え、一緒に行動するということは基本ありません。

傾聴を基本に心理学など専門的な知識や技法を用いて相談者の心のサポートをし、自己解決のための気づきの機会へと導くという表現で伝わるでしょうか。直接的な問題解決行動を共にするということはありません。

教育相談とカウンセリングの違い

「相談」と「カウンセリング」の大きな違いがそこにあります。

スクールカウンセラーの配置が一般化したことから「カウンセリング」という言葉が一般的になり、「教育相談」との区別もなんとなくうやむやな状況のまま、悩み解決の専門家のような誤認識も広がり、「相談」と「カウンセリング」の混同が顕著に見られることも出てきています。

いじめ問題発生時の対応

いじめ問題が発生した時に、スクールカウンセラーにそのいじめ問題解決を求め、期待するのは本来の役割からは誤りです。最近は教育相談にも対応できるスキルを持つ方も増えているようですが、基本は問題を抱える人の心の支えとしての役割になります。心のケアは重要な役割でもあるので関わらないということではありませんが、役割が違うということです。

いじめ問題が発生した場合、教職員(教育現場)が一緒になって考え、問題解決に向けて共に行動するというのが原則の対応です。

ただここでも一つ問題があります。全ての教職員がいじめ問題対応の専門的教育を十分に受けているわけではないということです。要は場当たり的な対応になる場合もあるということです。

最近のいじめ問題発生時の学校や自治体(教育委員会)などの対応を見ても分かる通り、「何をどのように対応すれば良いか」を理解していないのです。

管理職や生徒指導担当教員であれば問題発生時の対応研修を受講していたり、都道府県教育委員会単位で対応マニュアルも作成はされているのですが、受講したりマニュアルがあることと身についているかどうかは話は別です。

受講やマニュアルがあれば対応できるようになっているのであれば、昨今のような対応不備の問題がニュースになることはありません。

教員であれば授業や部活動の顧問、事務作業も含めて様々な教職業務で多忙を極めるでしょうから問題が多い学校でもない限り、いじめや問題発生時の対応については後回しにしてしまうでしょう。

教育相談というものがどういうものか?スクールカウンセラーの役割は何か?学校の役割は何か?ということを整理しておくことが大切なのではないかと感じることもあります。

制度も器も使い方次第

本題から脱線してしまいましたが、「教育相談」と「カウンセリング」ができる器だけは学校に整備されていきますが、それらをどのように生かすのか(使いこなすのか)という肝心なところが抜けているというのは、情報モラル・情報リテラシー教育の使う人がどのような意識で、どのような使い方をするのか(使いこなすのか)という肝心なところが抜けているのと同じ構図に見えて仕方がありません。

器は使い方次第です。

子供達の悩みや問題も複雑化している状況になっていますので、器を使いこなして子供の悩みや問題を解消し、自ら命を絶ってしまうようなことがないようにしていきたいものです。

情報モラルは道徳教育

「LINEで悪口や仲間外れがあった」「twitterで問題投稿があった」
だからその使い方の問題や危険性を伝えて欲しいという依頼を受けることがあります。

使い方の問題であることや危険性を伝えるのは簡単です。
それらを伝えただけで心を入れ換えて問題を起こさなくなるでしょうか。
恐らく同じような問題を繰り返す可能性が高いです。

問題が起こる本質は人としての道徳心、倫理観、自制心の欠如や自分だけは大丈夫という油断です。

小学校低学年であれば知らずにやってしまったということもあるでしょうが今やレアケースでしょう。
人として心が育っていれば、知らずとも問題のあるような行動は起こしにくいものです。

子供の場合、詰まるところ家庭教育の問題でもあります。
家庭教育で育まれた道徳心、倫理観、自制心をベースに学校教育や学校生活での応用力が積み上がるのです。

ベースがなければ砂の土台の上に家を建てるようなものです。

子供の基礎を作るのは家庭教育です。
やり方は千差万別、家庭によって違いはありますが、人として生きていく上で最低限必要な道徳心、倫理観、自制心を家庭教育で身につけられるような親子関係、家庭環境とすることが問題を本質的に解決するためには必要なことなのです。

家庭が学校教育に過度に依存している今の現状は異常であり、意識改革をしなければいけないレベルにあると考えておいた方がよいでしょう。

福島の原発事故被害で避難してきた子供への犯罪的ないじめへの当該学校や管理監督する横浜市教育委員会の対応など見れば、教育界の改革が必要なことは明らかです。

大人があの対応では子供の心など育つはずがありません。
子供は大人のことをよく見ています。
そして大人が思うほど子供は馬鹿ではありません。

育むべき時に必要な教育をすることをする。
その一番が大人がやって見せることです。

もしも学ぶ機会がなかったがいたとしたらそれは大人の責任です。そして子供にとっても社会にとっても不幸でしかありません。

不幸の連鎖を断ち切ることができるのは道徳心であり、その心を育むのは大人であり親であり教育関係者です。

意識を変えねばならないのは教育界に関わる大人です。

ちょっとまて!

「ちょっとまて!」
この一言でトラブルを防げるかもしれません。

小学生向けにできるだけ分かりやすく伝える方法として、映像とキャッチフレーズ一言というのを試しています。

小学校だと45分授業です。
集まる時間や挨拶の時間を考えると長くて正味40分です。
1回限り40分の話の中でいかに記憶に残してもらえるか。

危険性があることを知り、気をつけてもらえるよう意識してくれれば確実にトラブルは減少します。

映像はインパクトがあり、イメージを持ってもらうには適しています。
そこにわかりやすいキーワードを楔として打ち込むことで安全な側に引き戻す、考えるきっかけになればと考えています。

言われたことをそのまま受け止めるだけではなく、応用ができるように「考える」きっかけとしてもらえるような仕掛けも日夜考えています。

ニーズがある限り今後もライフワークとしては関わり続けることになると思いますので、こういう話をしたら反応がよかったよという話はもちろん、この話は散々だったという情報もお待ちしております。

子供が親に相談しない理由

子供が親に相談しない理由

子供が親に相談しない理由には以下のようなものがあります。

  • 「親に相談したら怒られるかもしれないことをやったから」
  • 「親に心配させたくないから」 
  •  「親に聞いてもわからないと思うから(一度、質問した際に疑問を解消するだけの回答が得られなかったから)」

一つ目は誰もが心当たりのあることでしょう。子供時代を振り返ってみれば。

二つ目は親が知らない子供心ですね。優しさとも言えますが、相談できない関係は良い親子関係とはいえませんが、親心としては複雑なところでしょう。

三つ目は深刻な問題を引き起こす可能性があります。

子供が親に相談してみたものの「自分の親では問題を解決できない」という認識になってしまっているということです。

解決してもらえない人に、相談はしないものです。

相談してもらえるようになるために

問題の早期解決には早期発見、相談が欠かせません。

IT業界に身を置いていると否応がなしに新しい情報にも触れますし、新しいサービスが出たらとりあえずやってみるということが習慣になっている人もいるでしょうが、自分の専門や興味領域以外のことまではなかなか頭が回りません。

一方、子供達のモノゴトの吸収スピード、自分たちの使いやすいようにアレンジメントしていく能力は天才的です。

そうなると「子供の質問に答えられない」という事態は起こってきます。

しかし、調べることはできるはずです。わからないことを「わからない」で済ませてしまうのではなく、調べて答えるということをすることが大切です。子供と一緒に調べても良いかもしれません。

「そんなことわからないよ!」で終わらせるのではなく「自分も知らなかったことだから一緒に調べてみようか」という一歩踏み込んでみると親子関係も変わるかもしれません。

我が家では(IT関連に限らず)子供の質問に答えられない時は、一緒に調べるということを実践しています。

これをやっていると、わからないことがあった時に聞いてくれるようになります。とりあえず聞いてみるか・・・と。

子供にとっては辞書で調べるよりも早いからということかもしれませんが、理由はどうであれ聞いてもらえるようになることが問題の早期発見、解決には重要です。

何かあった際に親に話しやすい環境を日頃からつくっておくことは親としての責任ではないでしょうか。

ネット依存対策の難しさ

ネット依存は、オンラインゲームが普及し始めた時期から話題にはなっていますが、その後、具体的に何か対策が講じられているという話は出てきません。

数年が経過し、スマートフォン(以下「スマホ」)時代になっても具体的な対策は出てきませんが、ネット依存に関しては深刻化してきているように感じます。

スマホの普及でネット接続環境が非常に手軽で便利になりました。パソコンを持ち歩いたり、起動の待ち時間なく、いつでもどこでもネットに繋がる環境が手に入ったからです。

便利になった一方で、これまではオンラインゲームなど一定のユーザーがネット依存対象者だったのが、スマホ利用者の多くがネット依存対象者、いわゆる「スマホ依存」の対象者になってしまいました。

スマホの爆発的な普及に対し、「誤った使い方」についての教育が皆無です。子供についてはセーフティ教室や情報モラル教室など年に一度とはいえ学習機会が与えられていますが、大人は子供の学習機会に同席するか、自ら調べない限り「誤った使い方」について学習する機会がない状態で使っています。

これで問題が起こらない、拡大しない方が不思議な環境と言えます。

子供達の誤った使い方による不幸な事件や事故は一定数ありますが、それ以上に大人が誤った使い方をして問題を引き起こしている実態にもっと目を向ける必要があるのかもしれません。

依存に関しても、子供よりも大人方が問題でしょう。

本来、家庭で子供を指導、監督する役割の保護者自らが依存状態になっているケースもあります。

親が依存状態で子供に依存症にならないように指導、監督するというのは、「タバコを吸いながら、タバコは体に悪いから吸っちゃダメだぞ!」というお笑いの構図です。

大人が誤った使い方を知らない、指導できないとなると、子供はどうすればよいのでしょうか。

多くの子供達は大人を反面教師にしていることもあります。政治家が不人気なのは典型的な例でしょう。

一方で、大人がやっているのだから、親がやっているのだから、親に注意されないからという環境で生活していたら、一線を越えてしまうことも増えるでしょう。

トラブルにならない、依存症にならないのはたまたま運が良かったからであり、いつ誰がトラブルに巻き込まれる、依存症になるかわからないような状況で使用するという環境は変えていかないといけないのではないでしょうか。

この手の教育、学習機会の提供の難しさは、変化が激しいことと、教育や学習機会提供のための予算も十分にないこと、通信事業者やサービス提供事業者の利益と短期的に相反するという難しがあります。

適切に利用されると儲からなくて困るという会社も出てくるでしょうが、長期的には適正利用ユーザーが増える方が社会としては健全であるので、思い切って不適切利用者のネットワークを遮断して治療するような施設を全国に展開することも必要なのかもしれません。

ネット依存症(スマホ依存症)は、アルコール依存症や薬物依存症と同様の症状になるということが言われており、実際にネット依存の治療ができる施設は、アルコールや薬物依存の治療を専門に行っている医療機関、医師です。

スマホ依存は歩きスマホを誘発し、ネットストーカーや体調不良など様々な問題も引き起こす原因でもあります。

遅すぎるという事はありません。ネット依存対策に本気で取り組むことが必要なのではないでしょうか。

子供にスマホ いつから持たせる?

親の悩み

スマートフォン(以下「スマホ」)の普及著しい社会になり、小学校高学年、中学生の保護者はもちろん、幼稚園や小学校低学年の保護者も「我が子にいつから持たせるのが適切か?」「子供用携帯/スマホと通常のスマホどちらがよいのか?」という悩みを持つ人が増えているようです。

講演会などでもこの手の質問はよく耳にしますし、事前アンケートではフィルタリングの話と合わせてニーズが高い質問事項です。

いつから持たせる?

さて、いつから、何を使わせるか?

唯一の答えを示せということになると、「人それぞれ、家庭の状況によって異なるので『保護者が持たせる必要があると判断した時』」という答えになります。

「えーーー!それじゃ解決しない!」という反応が見えますが、答えを一つと言われれば、このように答えるしかありません。

各家庭には教育や通信機器保有に関する方針があり(方針なんかないよという家庭もあるかもしれませんが何かしら考えてはいるでしょう)、家庭の環境があります。

環境として通信機器を持たせた方が良い家庭環境、必要性はない家庭環境など様々です。親の心情に加えて子供の生活環境にも依存します。

と言っていると問題解決しませんので、ではどうすればよいかという話に移ります。

判断のポイント

まずはご自身の家庭の方針や環境などの状況整理がポイントとなります。

  • 「我が家では子供の携帯・スマホ保有についてどのように考えているのか」

分かりやすく言うと「我が家では高校生までは携帯/スマホは持たせないことにしている」「我が家ではICTリテラシー教育の観点から小学生低学年かた持たせて使わせる」など何かしら考えていることがあるでしょう。この考えがいわゆる「家庭の方針」で基盤になるものです。この方針を前提に、以下のような項目を考えて総合的に判断することになります。

  • 「(子供が欲しがっている場合) 今、欲しい理由は何か?目的は何か?」
  • 「(親が持たせた方が良いと感じている場合) 今、持たせたい理由は何か?目的は何か?」
  • 「今、子供に持たせる必要性(必然性)があるのか?ないのか?本当に必要か?不要か?」
  • 「今、子供に持たせた場合、どこまで使いこなせるのか?どこまで制御する必要があるのか?その状態で持たせて大丈夫か?」
  • 「家庭の事情は大丈夫か?毎月の利用料負担は大丈夫?一定の管理監督対応はできるのか?)」

更にブレイクダウンすると「習い事から帰る時間が遅いが、持たせた方がよいのかどうか?」「友達との関係性においての必要性があるのか?必要性を感じる状況か?」ということまで考えることが大切です。

これらの要素から総合的に保有の判断をするのです。従って、答えは一つではありません。子供の数だけ答えがあるということであり、万人に対応する正解というものはないのです。

「保護者が持たせる必要があると判断した時が持たせる時期(タイミング)」です。

どのような機能・サービスを使わせるか?という質問も同じです。

「保護者が必要と判断した機能・サービスを使わせる」ということです。

保有と利用の一点大きな違いは「保有の判断は保護者の判断」で良いのですが、利用は「子供と一緒に考え、話し合った上で決める」ということが重要になってきます。

利用に関しては「ルールづくり 」を参考にしてみてください。

補足:もしわからないことがあったら

わからないことがあったらご遠慮なくご質問ください。

時間をいただくことがありますが質問には必ず回答差し上げます。

(c) hikariba