いじめの本質(いじめ=犯罪)
はじめに
いじめについて様々なことが言われています。
8月下旬から9月にかけて毎年のようにいじめ自殺予防の相談窓口が開設され、啓発・呼び掛けが行われていますが、果たしてそれがいじめの予防・解決に繋がっているのでしょうか?
全く何もやらないよりは良いかもしれませんが、残念ながらいじめによる自殺や不登校など、無くなる兆しは見えません。大人のアリバイづくりにしか見えないのは気のせいでしょうか。
そんないじめについて考えてみましょう。
いじめの本質
いじめは犯罪
担当させていただく講演や研修では、「いじめは犯罪である」ということを必ずお伝えしています。いじめという言葉のオブラートに包むことで、犯罪行為であることを隠してしまい、結果、いじめの抑制力が下がってしまっているのではないでしょうか。
「あなたのやっていることは犯罪だ!」と言われるのと「あなたのやっていることはいじめだ!」と言われるので、どちらが罪悪感を強く感じるでしょうか。
まずは、この意識を変えること、家庭と学校教育において「いじめ=犯罪」ということをしっかりと教えることが前提になるのではないでしょうか。
人の本能
誰にも心当たりがあるのではないでしょうか。自分や自分の所属するグループの中で"異質な人がいると排除しようとする意識が"働くことを。
しかし人にはその意識を抑え込む力(抑制力)が働きます。この抑え込む力は、人の成長過程で家庭や学校教育において育まれていくものですが、教育が不十分もしくは抑え込む力が弱くなった時に、人の異質なものを排除しようとする本能が目を覚まします。
本能の目覚め
人の本能が目覚める要素は5つあります。
①コミュニケーション力不足
②共感力不足
③知識力不足
④判断力の欠如
⑤理性の欠如
①②は、通信機器の発展や技術の進歩により、人と直接交流する機会が減っているため、適度な距離感の取り方を身につける機会がない、相手と共感することの経験が少ないことが原因です。
③④はやってはいけないことを知らないもしくは不十分な理解の中で、物事の判断をしてしまうことが原因です。
①〜④は成長過程で家庭での教育や体験、学校教育において徐々に身につけていくものであり、異質なものを排除する意識を抑制するためには、学習機会や体験する機会をいかに提供するかが重要になります。
⑤は生活環境に左右されるものであり、理性を失う背景の理解が大切になります。理性を失う背景について少し詳しく考えてみましょう。
理性を失う背景
理性を失う背景には、6つのストレッサーがあります。ストレッサーとはストレスの原因となる要素のことを指します。
①心理面
②社会的支援者の不在
③行為の正当化
④同調圧力・リスク回避意識
⑤注意関心を惹くきっかけ
⑥その他(妬みや嫉妬、悪ふざけ意識等)
「①心理面」とは、不安、怒り、憎しみ、憂さ晴らし等の感情ストレスの存在です。勉強、教師、友人、家族に関する嫌な出来事やその人の存在や言動がストレスになる場合もあります。
「②支援者の不在」とは、ストレッサーを緩和させる社会的支援者(家族、友人、教師等との良好な関係にある人)が不在であることです。
「③行為の正当化」とは、集団内の異質な者への嫌悪感情、違和感、排除することの行為に対する正当化の意識が勝る状況のことです。
「④同調圧力とリスク回避意識」とは、グループにおける仲間意識と仲間意識の中で芽生える同調圧力(暗黙のその場の雰囲気)、グループで異なること、グループがやっていることに異論を挟むことによる次なるいじめ被害者となることへの恐怖心のことです。
「⑤注意関心を惹くきっかけ」とは、グループ内で自分に関心をひくことを目的としているやることや、仲間に引き入れるためのきっかけを求める意識が理性を勝る状況のことです。
「⑥その他」、ねたみ、嫉妬感情、遊び感覚、悪ふざけ意識など、①〜⑤で触れた要素が複合的に絡み合った状況も理性を失うきっかけとなります。
理性については、人の感情が左右するため、教育だけでは解決しない要素であることは理解できるでしょう。
いじめは無くならない
2012年からネットいじめの予防啓発、ネットいじめの学校での対応研修等に関与し、前述した背景や社会の実態を鑑みるに、私は「"今直ぐに"いじめは無くならない」と感じています。
社会からいじめがゼロになることは理想的で素晴らしいことでしょう。しかしその理想が本当に叶うと思っている人がどれくらいいるでしょうか。教育委員会等でいじめゼロを掲げている地域では、理想と現実の狭間で空回りしているのではないでしょうか。
また、いじめを受けている側の視点だけでいじめを無くそうとしても、なかなか無くならないのが現実です。それは何故でしょうか?
私はいじめている側の視点が抜けているからだと考えています。何故いじめをするのか?中には、いじめ行為自体が娯楽や楽しみになっていたり、ストレス発散に使われていることがあります。そのいじめ行為を誘発する要素を解消しない限り、いじめという名の犯罪はなくなる事はないでしょう。
裏を返すと、いじめる側の要素を解消できるとすれば、抑制力を高める事は可能だと思います。人の感情に左右される事なので確実にゼロにできるという事は言えません。安全に絶対がないことと同じです。しかし、抑制力を高めることで、いじめという名の犯罪を減らす事は可能でしょう。
そのためにも。いじめをしている側の視点からもいじめ問題を考えてみることが必要なのではないでしょうか。特に家庭環境については注視すべきです。
学校にとっては個々の家庭への介入は難しい問題ですが、いじめの背景の多くに、家庭環境の問題が関わっています。
いじめ抑制のために
特効薬はありません。時間は掛かります。地道に関与しながら働きかけをするしかありません。
働きかける側としては熱量を持つことが求められます。通り一辺倒の「いじめは良くないこと」という教育ほど不毛なものはありません。本気で問題意識を持ち、本気で子供達に向き合い、大人社会が見本になるように自らも行動することが必要です。
子供は社会の鏡です。子供社会が歪んでいるのだとするならば、それは大人社会が歪んでいるということです。
一人でできる事は限られますが、一人ひとりが活動し、繋がることで大きなうねりに繋がります。熱量を持つ人たちが繋がっていくことで、不可能と思われたことが可能になります。これは事実です。
諦めることなく、真摯に向き合い続けることが、いじめ問題を本質から解消していくために必要なことであることを理解し、行動していただける方が一人でも多く生まれるよう、ひかりばとしては活動をしていきたいと思います。