五里霧中 -hikariba-

情報モラル/ネット依存/ネット人権問題の予防対策、悩める方へ一筋の光を

いじめの本質 [0006]

いじめの本質として「異質な人を排除しよう」とする意識が人にあることを忘れないようにすることが重要です。

いじめが起こる背景には、3つの要素があります。

  1. 道徳心(知識)不足
  2. コミュニケーション能力不足
  3. 理性の欠如などがあります。

「1,2」子供の成長過程で家庭教育や学校教育を通じて身につけていくことです。現状はその機会を逸しているケースが増えているようです。

「3」は環境に左右されることが多く、以下のような理性を失う要素が挙げられます。

  • 心理的ストレスの発散(捌け口)
    ※娯楽として位置付けているケースもある
  • 支援者や指導者不在
  • グループ内での同調圧力
  • 自身のリスク回避意識
    ※自分が次にいじめられるかもしれない不安
  • 妬みや嫉妬など

いじめと言われている行為の中には「犯罪行為」として立件できるものも多くあります。犯罪行為であれば、犯罪として毅然とした対応をすることが求められます。

同時に、被害者の安全で安心できる場の確保と心のケア、そして加害者の加害行為の背景を把握し、その原因究明と共に加害者の心のケアをすることも重要なことです。

問題行為に対する責任を明確にすることは言うまでもありませんが、未成年の場合、これを避ける傾向は強いです。

「いじめ」というオブラートな言葉に包むことで、悪ふざけの延長に考え、犯罪行為に対する対策になっていないケースがあります。

学校や教育委員会では、形式的な調査だけ行い、結果的に事実を歪曲して隠蔽することになったり(意図的ではないケースも多いが対応として誤り)、加害者が被害者に謝ることで形式的に問題を収束させてしまうような対応になることもあるようですが、腫れ物に触るような対応をすることで、加害者は「これくらいなら許されるのか」ということで問題行動が解消しなかったり、増長するケースもあります。これは加害者にとっても未来に大きな問題を残すことでもあり、決してやってはいけない対応の一つです。

このような過度に加害者のことや学校としての体裁だけ考え、被害者保護の原則、問題解決の原則を見失っている対応なども散見されます。横浜市立小学校での原発被害避難者へ対応の問題など記憶に新しいところでしょう。

加害者の保護者が有力者であったりすると学校や教育委員会として問題をもみ消そうとする動きが見られることもありますが、本人の行為に焦点を当てて毅然とした対応しなければ、問題解決から遠のいてしまいますし、再発防止の観点からも遠のいてしまいます。加害者の保護者が誰であろうと毅然とした対応をすることが問題解決の原則です。犯罪行為であれば、隠蔽すること自体が犯罪となり、共犯になります。

 

下記の記事は、いじめと戦争は同じ、いじめの本質をついた話です。

「イジメと戦争」はこの世から絶対に消えない
(西野 亮廣/2016年11月3日 東洋経済ONLINE)  

ここに書かれている通り「正論」自体は間違いではありませんし必要なことですが、そこにとらわれていると問題解決において足枷となることもあります。

目的が「いじめをなくす」ことであるならば、正論だけではなく、いじめの本質が何であるのか、縦横斜め様々な角度、様々な立場から考え、解消のためにできることを一つ一つ実行することが必要なのだと感じています。一気にゼロなどあり得ないのは誰もがわかっていることでありながら一気にゼロを目指すことしかやらなければ叶わぬ呪文を唱え続けるようなものです。

いじめの心理の一つとして、いじめはいじめる側にとっては娯楽のひとつであるそうです。その感覚を受け止め、行為の多くは犯罪であるということを理解の上で向き合っていくと、これまでのような通り一辺倒の誰もが呪文のように唱える「いじめ撲滅」のための啓発活動、「そうだよね。でもそれだけでは無くならないよね。」という誰もが薄々感じているジレンマから抜け出せる気がします。

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